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東日本大震災に関する支援活動記(1)−1

平成23年3月11日 東日本大震災 発生。
ニュースで映し出される被害の様子に、私たちのまちで起こった阪神淡路大震災を思い出し、心臓を素手で握られているような感覚と戦いながらも、画面から目を離すことができなかった。

今の私たちに何ができるんだろう・・・

何をするにしても、とにかくお金は必要になるだろうと思い、知り合いのレストランなどに、早速、特定非営利活動法人プロジェクト1−2の活動を通して、東日本大震災の被災者支援活動に使用させていただく旨を記した募金箱を設置してもらった。

3月15日〜17日までの3日間、以前から予定していた東京出張へ。
すでに、原子力発電所の事故の為、電力が不足しつつあり、計画停電の話が出ている時。防災に取り組んでいるあらゆる機関の方々と話をするため、都内をあちこちまわったが、私の知る東京ではなかった。銀座の大手百貨店は閉まったまま、急な買い占めで、コンビニには食べ物や飲み物はなく、レストランもポツポツと空いている程度。それも、節電の為、店の前には明かりがなく、空いているかどうかはよく確認しなくてはならない。

そして、15日の夜は、大きな余震に会った。ホテルの13階に泊まっていた為、横揺れが激しく、部屋の家具が多少移動していた。その後も、滞在中、昼夜を問わず、余震に見舞われ、東京を後にした。
帰りの新幹線は、「放射能が東京へ」という言葉に敏感に反応したと思われる、母親と子どもでいっぱいだった。車内では「放射能」「疎開」などの言葉が漏れ聞こえてきた。
 
3月22日、プロジェクト1−2の理事の一人でもある 特定非営利活動法人神戸定住外国人支援センターの金さんと話をし、被災地から一時的に移住を考えていて、なおかつ、兵庫県、神戸市をその移住の地として考えている方々を、引越から、新しい地に慣れるまでをサポートしていこうということになった。阪神淡路大震災の経験上、1世帯だけではなく、できれば地域のコミュニティーを保ち、何世帯かで移住できれば、心強いのではないかという話もでた。
プロジェクトの名前は「ひょうご生活応援プロジェクト」。

まずは、被災者の方々は、兵庫県、神戸市への移住は視野に入るのだろうか・・・?
避難所で、直接話をし、ニーズを探すことから始めることになった。そして、その先遣隊として、プロジェクト1−2から、有光と竹中が米沢の避難所に行くことが決まった。

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