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東日本大震災に関する支援活動記(12)ー1


3年目を迎える"被災地"へ ( 竹中裕季子 )
2013.10.28-29


私にとっては約1年半ぶりに、宮城県に行ってきました。
来年の3月で3年目を迎える“被災地”

まだ3年です。

でも、関西に住んでいると耳にするニュースは、ほぼ原発の話だけ。
これが風化ということなのか・・・と実感します。

プロジェクト1−2も、関西を中心にさまざまな活動を行ってきました。
そして、わずかですが募金も集まりました。
今回は、その募金の使い方を考えるため、 また、
3年目を迎える現地の様子を自分たちの目と耳で確かめるために、
様々な方にお会いし、“被災地”の「今」を伺ってきました。


1日目:平成25年10月28日(月)

■名取市社会福祉協議会へ

お昼前に伊丹空港を出発し、約1時間で仙台空港到着。
そこから電車でまず向かったのは、名取市社会福祉協議会です。

名取市には、市内8ヶ所に仮設住宅が建設されています。
そこに13名の職員の方が、9時〜16時の間、交代で常駐し、
生活される方々の心のケアなどにあたっていらっしゃるそうです。

毎日、職員さんが常駐されている為、
生活される方も声をかけやすい関係が築かれていて、
孤独死は無いというお話が聞けたのは、嬉しい報告の1つでした。

でも、やはり「取り残されていく不安」や、
「保険料の補助も今年の4月からなくなった為、
経済的な事を考え病院へ行かない」等、
健康面や経済面での不安をもっている方がたくさんいらっしゃるそうです。


また神戸でもあったように、「隣の人がうるさい」、
「公営住宅へ引越しても、新たなコミュニティを作れるか不安」
などの声も上がってきているそうです。

被害の大きかった閖上地区を含む名取市は、
街の規模も大きい為、復興計画がなかなか進まないのが現状のようです。

今回“みなし仮設”という新しい言葉を聞きました。
要は借上げ住宅。
民間の賃貸の住宅を、国や自治体が賃料を負担する住宅。

家族の形態には色々あるので、
自分たちに合う住宅を、それぞれ選択しておられるようです。
もちろん十分ではないですが。


仮設住宅には集会所があり、
地元や他府県からのボランティアの方が太鼓の演奏などに訪問し、
皆さんの心を癒しているそうです。


小学校も1つになってしまったので、
各仮設住宅をスクールバスが巡回し、通学をしているそうです。

同じ時間に登下校しなければいけない。
自分が小学生の頃は、学校の帰り道に友達と遊びながら帰り、
寄り道も楽しかった思い出です。

ここにいる子供達は、そんな思い出を作る事もできないのだな・・・と
話を聞いていて思いました。




その後、閖上さいかい市場へ足を運びました。

社会福祉協議会から歩いて行こうと思っていたのですが、
佐伯事務局長さんがご好意で車で送ってくださいました。

プレハブでできた店舗が24店舗と7つの事業所が入っています。

名取市の特産品の魚貝類のお店や八百屋さん
お花屋さん写真店散髪屋保育所もありました。



観光バス
も停まっていて、全国から観光客が訪れる事も多いそうです。
明るいお店のお母さんの声に誘われて入ったお店で、
今晩ホテルで食べようと、閖上名物の赤貝を購入。
他にも、ふかひれスープや鯨の大和煮の缶詰などを買って帰りました。

美味しそうな物がたくさんあって、
この日泊まりではなければもっと・・・と少し悔やまれました。

最寄りの駅まで送っていただき、一旦仙台市内のホテルへ。


■ラジオ局「BAY WAVE」へ

夜は、塩竈市へ電車で移動し、 以前もお世話になった、
地元のラジオ局「BAY WAVE」さんにお邪魔しました。

以前の場所から移転され、最寄り駅から徒歩3分ということでしたが、
迷ってしまいました・・・

迷った道中、偶然見つけたのが塩竈市の復興市場でした。
時間が遅く真っ暗で閉まっていましたが、
ここも海産物を中心に店舗が並んでいました。


さて、潮の香りが漂ってくるほど海の近くのマンションの1階に
BAY WAVEの事務所兼スタジオがありました。

ここでは横田専務と渡邊チーフパーソナリティーのお2人にお会いしました。
私は初めましてのお2人です。

私たちの目的をお話し、塩竈市の現状を伺いました。
東北にはまだ、臨時災害局と言われるラジオ局が
20〜30局残っているそうです。

ここでまた今回始めて知った事は、
塩竈市には浦戸諸島という4つ離島があるという事。

そこはラベンダーや菜の花畑、海水浴場や展望台があり
自然があふれる癒しの島だったそうです。

そんな島々も、津波に飲み込まれてしまいました。
島の復興は市街地に比べて遅れています

漁業の復興についてのニュースは耳にしますが、
今この島の1つで「うらと 仙台白菜」と名付けられた、
地元特産品の栽培に力をいれているそうです。

元モーグルのオリンピック選手で地元出身の女性を中心に、
活動が進んでいるというお話を伺いました。


私たちの知らない所で、色んな人たち頑張っているのです。


でも3年目を迎える今、 震災直後からリーダーをして活動してきた人たちが
一番疲れ出してきているという事を、横田さんが話されました。

それは以前、当プロジェクト1−2の代表である有光が、
横田さんにお会いした時にはなした事で
横田さんはその言葉をしっかりと覚えていらっしゃいました。

そして今、まさに現実になってきていると話されました。

神戸の教訓は、色々な形で生かされていますが、
やはり繰り返してしまう・・・

心のケアは特に難しいのだと実感しました。


事務所を後にして、4人で夕食を共に。
そこでお聞きしたのは、宮城県内の現状。

南三陸や東松島では、まだ電車が通っていない所がある事。
マスコミに取り上げられる場所は、
観光地のようになり人が集まっているように見えるが、
生活をしてる住民は殆どいない事などを伺いました。


関西で生活をしているとなかなか知ることができない 色々な日常を伺いましたが、
この日はまだ、「私たちに今何ができるのか?」
という答えを 出すことはできませんでした。

→(2日目へつづく)

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