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東日本大震災に関する支援活動記(1)−2

3月28日 午後8時30分
レンタカーに、自分たち自身が3日間は何とか過ごせるように、水、毛布、カセットコンロや少しの食料を積み、NGO恊働センターから預かった、アレルギーを持った子どもさん対応の粉ミルク、そして、「ひょうご生活応援プロジェクト」の事務局が作成した、兵庫県と神戸市が公開している被災された方を受け入れる公営住宅の情報をまとめた資料1,000部を乗せ、神戸を出発。

阪神高速―名神高速―北陸自動車道―常盤自動車道を経て、米沢へ。多くの人からのアドバイスで、パーキングエリアにガソリンスタンドを見つける度に給油。給油量に制限があるとの話もあったが、実際に聞いてみると、車の数もそんなに多くないので、現在は特に制限なしとのこと。

所々、休憩を入れながら、2〜3時間ずつ交代で運転すること約10時間。約500人が避難生活を送られている米沢市営体育館に到着。午前6時30分という早い時間に到着した為、少し仮眠をとることにした。

午前8時30分、先に活動をしているNGO恊働センターの吉椿さんと合流。まずは、動く前に、避難所の様子を詳しく説明してくれることになり、一旦、ボランティアの拠点として協力してくださっているグループホーム「ゆいの木」へ案内してもらった。そこの方々は、まさにボランティアを支えるボランティアで、私たちも手作りの朝ごはんをいただいた。

吉椿さんから聞いた米沢市営体育館避難所の現状(3月28日現在 約500名)
福島県から避難して来られた方が多数(相馬・南相馬・浪江・双葉など)
水害で、すべてを失くしてしまった方も多いが、
 原発問題により避難をしてきた方も少なくない
原発問題で避難してきた方の中でも保障に差がある
 原発から半径20km圏内は避難指示…医療費無料、保険で給料がおりるなど、保障あり
 原発から半径30km圏内は自主避難…保障なし
 原発問題が原因で避難して来られた方は、家が残っているので、
 できれば帰りたいと考えている
 しかし、政府の方針や、保障がはっきりしないうちは動けない
南相馬から30戸、そろって避難して来られた方々もいる
 高齢者は、元の地へ戻りたいが、若い世代は、仕事も合わせて次の地を探し始めている
米沢は被害が少なかったので、米沢で暮らしを整えようとしている人もいる

その他、細かいこともいろいろと聞いた。聞けば聞くほど、兵庫県や神戸市に移住を考えている人がいるんだろうか?という疑問が大きくなっていった。とにかく、避難されている方とお話をしながら、移住の意向を聞いてみることにした。

まずは、米沢市立市営体育館避難所を管理している米沢市役所の総務課の方に、「ひょうご生活応援プロジェクト」の趣旨を伝え、資料の貼りだしと配布の許可を得た。総務課の担当の方からは、逆に「阪神淡路大震災の時は・・・?」といろいろと尋ねられた。米沢市役所は通常業務も行っているので、避難所のケアも十分できず、悩んでいる様子だった。
 

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